はるうなぎです。
当ブログの主役でもある猫たち、そして夫婦のことについてざっくり書きます。
自己紹介と近況
わたしは、結婚8年(2022年10月15日時点)になる子なし夫婦の妻です。
結婚前から夫は子どもを望んでおらず、当時ひとり暮らしをしていたわたしもその時すでに猫2匹を飼っていたこともあり、
まあ猫がわが子みたいなものだから寂しくないし、
子どもはいてもいなくてもどちらでもいいかな
と考えていたので、子どもを生涯持たない人生になるかもしれないことを承知の上で夫婦になりました。
子どもだけが人生のすべてというわけでもありませんし。
結婚後1年くらい専業主婦をして、扶養範囲内で事務のパートを約2年半。
その後約3年の派遣社員を経て、現在は正社員として働いています。
今はありがたいことに正社員ですが、「バリキャリになるぞー!」といった意欲や高い志があったわけでは全然なく。
たまたま運よく派遣先の会社から直雇用転換のお誘いを受けて、特に断る理由もなかったので正社員になったという感じです。
というかそもそも働きたくないのが大前提なんですけどね。
家に引きこもって猫と遊んでゴロゴロしていたい。
ある日、子どもがほしいと言い出す夫
結婚して数年後のことです。
子どもがほしい!
結婚前「子どもがほしいなら俺とは結婚しないほうがいい」と釘を刺してきた夫が。
どういった心境の変化やら。
残念ながら、そのときには逆にわたしの中に親になるという選択肢は消え失せていました。
というのも、子どものいない生活に慣れてしまったわたし。
その身軽さ、気楽さ、経済的・時間的な余裕を何年もかけてじっくり安穏と堪能していたんです。
文字通り自由気ままな生活を、です。
そうしたら今度は、それを手放すことに強烈な不安を感じました。
慣れとは恐ろしいもので、一度あげた生活水準はなかなか下げられません。
人間は弱い生き物だという自覚もありますし、ラクなほうに流されてしまうのも自然なことかもしれません。
だから夫にはわたしの思いを伝えました。
夫は少し残念そうでしたが、
子どもがほしくて結婚したわけじゃないから
夫婦ふたりで仲良くのんびり暮らしていこう
と全面的にわたしの意思を尊重してくれています。
ほんと、タイミングって大事なんだなぁ。
わたしたち夫婦はこのタイミングが合わなかった。
だから子どもを持たない人生を選んだ。
あとはまあ、子どもに関して価値観が一致したからもあるでしょうね。
もともとわたしも夫も子どもがそんなに好きではないし、自分たちが地獄のような苦しみを味わいながら働いて稼いだお金を、自分のために自由に使えないことのやるせなさは想像に難くありません。
こういう思考を持っている時点で【親】に向いてないのでしょう。
それにわたしが目指すのはあくまで無職(専業主婦)なので、お金のかかる子どもは作らないほうがいいに決まっている。
子どもを作らないからと言って、じゃあバンバン浪費にまわせる余裕があるのかと言えば、全然そんなことはないわけですけど。
猫が増えたきっかけ
独身時代、ひとり暮らしを始めようかと思い立ったときに、知人から「子猫を保護したが飼えないので里親を探している」と連絡が。
もともと友人も少なくぼっちを愛する民のわたしですが、ふとした瞬間にホームシックになるかもしれない。(実家までの距離:車で5分)
そもそも自分のためだけに頑張って働くって、モチベーションが続かないかもしれない。
猫がいればひとり暮らしでも寂しくないし、
お猫様養育のために安定した資金が必要だし、
となるとそうそう仕事辞めたりできないし、
自分を奮い立たせるという意味でも子猫をもらい受ける話は悪くないのでは?
と考えました。
それがわたしが猫を飼うことになった始まりです。
当時、小さな会社でフルタイム事務職の仕事をしていたわたしは、
ひとり暮らしを始めるのはいいけど
留守番時間が長いし、1匹だけでは寂しかろうなぁ
ぽつんとわたしの帰りを待つ猫の寂しげな待ちぼうけ姿を想像し、勝手に切なくなる。
たった1匹を家に残して仕事に行くのが途端に心配に……(過保護発動)
退屈を紛らわせる遊び相手も必要だし。
きょうだいを引き離すのもなんだか可哀相だし。
ええい、2匹ともまとめてうちに来い!
メロメロに甘やかして幸せにしてやんよ!
という具合に引き取りました。
それが白猫の【はる】とサバ白の【うな】です。
ぼく、はる
甘えん坊だけど抱っこは苦手だよ
あたし、うな
食いしん坊なクールガールよ!
ちなみに余談ですが、わたしのはるうなぎという名前は、この子たちから来ています。
はるとうなが2歳のとき、夫とのお付き合いが始まりました。
2匹は人見知りな猫でしたが、夫にはなぜか寄っていき、懐いたのです。(ジェラシー)
特にはるは、時々家に遊びに来ていた友人には帰るまで姿すら見せなかったのに。
これは今でも理由はわかりません。なにか波長が合ったとか?
その後、約4年の交際を経て夫と結婚し、2匹と夫婦ふたりの生活が始まりました。
独身時代から、手塩にかけて守り育て、慈しんできた子たち。
そしてわたしと一緒にわが子のように愛してくれる夫。
賑やかだけど穏やかな、心から満ち足りた日々。
はるとうなが天寿を全うするまで、これから先の十数年、いつまでも変わらずこの2匹とふたりで暮らしていくんだと信じて疑いませんでした。
白猫のはるが、心筋症で亡くなるまでは。
肥大型心筋症の診断を受けてから4ヶ月後、闘病の末にはるは7歳で虹の橋へ旅立ってしまいます。
はるを失った喪失感は形容しがたいほどつらく、わたしは毎日嘆き暮らしました。
わたしが嘆き悲しんでいるのと同じように、もしかすると残されたうなもまた、はるがいなくなったことに気づいてなにか空虚感のようなものを感じていたのかもしれません。
死というものを認識していたかどうかはわかりませんが、ある日突然、生まれてからずっと一緒に過ごしてきたきょうだいがいなくなったのですから、当然と言えば当然なのですが。
その日を境に、うなはわたしのそばに来て甘えるようになり、そして夜鳴きが始まったのです。
新しく猫を増やすきっかけは、はるとの死別でした。
うなの夜鳴きの原因が、はるがいなくなったことによる分離不安症ではないかと夫と推測しましたが、これも憶測の域を出ないしわたしたちがそう思いたいだけのエゴかもしれないけれど。
たとえ分離不安症であってもそうでなくても、多少なりともはるの穴埋めになるのでは、寂しさがまぎれるのではと新たな猫を迎え入れることに決めました。
ここからあれよあれと頭数が増えていきますが、後悔はしていません。
どこから猫を迎え入れるのか
猫の迎え入れには、
- ペットショップやブリーダーから購入する
- ボランティア団体などから保護猫を譲り受ける
- むしろ自ら野良猫を探し出し保護する
といった選択肢があります。
好きな猫種はたくさんある。
休日に夫婦で出かけて、買い物のついでにペットショップにふらっと立ち寄って、あの子も可愛いこの子も可愛い(しかし金額は可愛くない)と観賞したりしている。
でも、わたしは「ペットショップやブリーダーから購入する」という選択はこれから先もすることはないと思います。
理想を言えば、3番目の選択肢がいい。
猫がただ好きなので、もう生物分類が食肉目ネコ科ネコ属でさえあれば品種や血統書に強いこだわりを持たない上に、「わたしが引き取らないとこの子はどうなってしまうのか、車に轢かれたりしないか、誰かにいたずらされたりしないか、殺処分になってしまうのでは」という言い知れぬ不安を煽ってくる感じが、運命的な出会いを思わせてくれるからだと思います。
そしてそんなことを言い出したら、野良猫を片っ端からみんな保護しなくてはならなくなるので、ほんともうキリがない話になっちゃうわけですが。
とは言え、そんなに都合よくわたしの前に野良猫が現れることはなく。
そもそもわたしは出不精、休日は必要最低限の買い物に行く以外出歩くことがほぼ皆無、とくればさもありなん。
結論から言えば、現在わたしたち夫婦のもとにやってきた猫たちは全員ボランティア団体あるいは知人から譲り受けた子たちです。
選択肢の中であれば2番目にあたりますね。
理想は「野良猫と出会って保護する」だけど、先にも述べた通り野良猫と出会えない恐ろしく狭い行動範囲のため、わたしは猫を迎え入れるときの手段としてもっとも理想に近い「保護猫を譲り受ける」ことにしています。
野良猫を保護したのが自分か、そうでないか、というだけの違いなので。
そして最重要事項である猫への愛情。
「この子が愛おしい」という感情を抱くのに、品種も血統も関係ありませんよね。
その上、社会貢献というおまけつき。
その他にも、動物愛護センターからもらい受けるという選択もある。
わたしも新しく猫を迎え入れたくなったら、まずは愛護センターのホームページを見るようにしています。
そこで里親を募集している子がいなければ、ボランティア団体などの保護猫情報をチェックする、という段階を踏んでいます。
愛猫が5匹になるまで
最初は2匹から始まった愛猫との暮らし。
はるの死をきっかけに、新たなパートナー(悪い言い方では「穴埋め要員」)として茶トラの【ナツ】が保護ボランティアさんのところからわが家にやってきました。
2016年7月某日。
ぼく、ナツ
とにかく甘えん坊で食い意地はってるよ
結果として、うなの分離不安症らしき各症状はナツの加入によってぴたりとなくなりました。
分離不安症(仮定)は解消されましたが、また別の問題が。
ナツは子猫でした。迎えたときに生後3ヶ月半くらい。
人間よりも猫に向かって「遊んで遊んで!」と飛びついたり追いかけまわしたりする子で、当時7歳のうなはそれをかなり鬱陶しがっていました。
それを見て、このままではうながストレスで血尿再発(もともと膀胱炎持ちでした)になるかも、なんとかしなければ!と夫と相談した結果、ナツと同じ年ごろの遊び相手を迎えることになりました。
2016年12月某日、やってきたのが黒猫の【ノア】です。
ぼくは、ノア
母ちゃんのことが好き好き大好き!
ノアもナツとは別の保護ボランティアさんから譲り受けた子です。
わが家に来たとき、生後6ヶ月くらいだったと思います。
ナツも成長して生後半年くらいになっていたのですぐに受け入れられ、本当のきょうだいのように仲良くなってくれました。
しばらくはうな、ナツ、ノアの3匹で平和な日々が続きました。
猫が増えたことでアパートも手狭になったので家を建てて引っ越し、猫たちも1階と2階、各部屋を行ったり来たり自由に過ごしながら、新居での新生活を謳歌していました。
新居に越して2年後くらいに、なぜか不意に「猫は偶数でなきゃ」という思いに駆られるわたし。
なぜかは思い出せないのですが、ペアでいてほしかったのでしょうか。
ナツとノアが基本仲良しで寝るときはくっついていることが多かったものだから、うなが仲間外れにされてる感があって可哀相に見えたのかもしれません。
2019年9月某日に迎えられたのがキジ白の【チロ】です。
オレ、チロだよ
ガチムチ、イケメン担当です
数を偶数にするため、という数合わせのような今考えると悲しい理由で迎えた子ですが、この子も生後2ヶ月半くらいのときに保護ボランティアさんから譲渡していただきました。
まあナツのときの経験からある程度予想していましたが、うなと子猫のチロが仲良くなるはずもなく、チロの遊び相手はもっぱらナツとノアでしたとさ。(やっぱりね!涙)
特にノアがお兄ちゃんらしい振る舞いをするようになり、情の深さを目の当たりにします。
チロのじゃれつきにもうまくあしらったり、じっと我慢したりと優しくチロに接する姿を見て感動しました。
男の子って縄張り意識の強い子が多いイメージだったので、なんだか意外というか。
最初はシャー言いまくるけど、打ち解けるのめちゃくちゃ早い。
一週間もするかしないかのうちに、グルーミングしてあげてたりする。
この子の母性(父性?)強すぎんか。
さらにその三年後、2022年7月某日。
新たな家族、三毛猫の【なぎ】が加わりました。
わたし、なぎ
わんぱくハイテンションガール☆
正直、チロを最後に猫の受け入れはおしまいにするつもりでした。が、ひょんなことから家族として迎えることに。
職場の同僚から、育児放棄された子猫(生後2~3日)を2匹保護したので里親を探しているという話を受けました。
里親になってくれそうな人を探すということで、当初わたしが引き取るつもりはまったくなく、夫も新しい猫を受け入れることに難色を示していました。
しかし里親探しのさなか、眼振、頭が揺れる等、原因不明の障害の症状が現れる……。
そうなると、どうなるか。
わたしの悪い癖「不憫な境遇の子ほど、庇護欲が掻き立てられ面倒を見たくなる」が発動!!
わたしが幸せにしなければ!と鼻息荒く意気込みはするものの、「多頭飼育崩壊」という言葉が脳裏をよぎりはしましたよ。
巷では深刻な社会問題としてよく耳にするアレですね。
それもあって、実際に引き取る決断をするまでは、「命を預かる、その責任について考えたとき、わが家にとって5匹は適性飼育数なのだろうか?」としばらく悩み葛藤していました。
猫たちが健康で快適に暮らせるよう、毎日のお世話がきちんとできるのか。
その命が終わるまでにかかるさまざまな費用など、猫の頭数分に比例して負担も増えることを正しく理解した上で、なんの躊躇もなく対応できる経済力を維持していけるのか……とかね。
夫とも何度も話し合い、シミュレーションしたりして、5匹目を迎えた生活がどうなるかイメージしました。
もちろん頭で考えるよりも大変なこと、苦労もある。
諦めることも我慢することもたくさんあるだろうし、並々ならぬ努力と覚悟が必要です。
でも、
わたしは従順なお猫様のしもべ!
お猫様が幸せなら私も幸せ!
ずっとそういう精神(モットー)で生きてきた。
これからもそれは変わらないし、変えるつもりもない。
だから大丈夫、そう確信できたので、なぎを迎えることに決めました。
さすがに乳飲み子のお世話は難しかったので、離乳期のタイミングくらいで引き取りました。
そうして、総勢5匹の猫たちと暮らす現在に至るわけです。
猫5匹と夫婦のこれから
わたしたち夫婦は、ケンカも多い(というか私がだいたい怒って不貞腐れている)ですが基本的には仲良しです。
まあ、夫婦というよりは友だちみたいな感覚が強かったりする関係性ですが。
そんなわたしたち夫婦にとってのいちばんは、猫たちです。
子どもを持たない代わりに、わが子同然の猫たちを幸せにして、そしてそれを毎日の生きがいにして夫婦仲良く楽しく暮らす。
そんなわけで、
奉仕(猫たちにおいしいごはん、安心してくつろげる場所の提供)
勤労(猫たちが何不自由なく暮らしていくための経済的余裕を生む労働)
納税(猫たちは被扶養者になれない=各種優遇が受けられないのでたくさん税金払う)
以上をわたしたち夫婦の三大義務としています。
子どもにかけるお金はないと言いながら、猫には貢ぐ気満々なのが矛盾に感じますけども。
人間を育てるのと猫を育てるのでは、そもそもの額が違うので単純に比較できないから仕方ないよね。
今後についてですが、これ以上猫を増やすつもりはありません。
自分たちの目が行き届く範囲というものには限界がありますから、今いる5匹がわたしと夫にとって万遍なく注力できる適正数なのだと思います。
チロのときのように「偶数にしなきゃ」という発作(笑)は要注意だけど。
猫たちに振りまわされ、それを楽しんでいくスタイルで、これからもわたしたち子なし夫婦は猫を心の拠りどころとして、ケンカをしながらも仲良く暮らしていきます。
その様子を、不定期、気まぐれにお届けいたします。
当ブログにたどり着いた皆さまの、お目を楽しませることができましたら幸いです。