【ぼっちは】他人のために生きるのがしんどい件【最高】

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メリークリスマス、はるうなぎです。

突然ですが、わたしはひとりが好きです。

ひとりが好きだと公言すると「孤立して生きづらそう…」と思われるかもしれませんが、意外とそんなことはありません。

いや、強がりとかじゃ全然なく。

ひとり時間、個人行動、ぼっちは気楽だしノーストレス。

そんなぼっちの魅力、みんなに伝われ……!

集団行動は億劫でしかない

昔から恐ろしいほど人見知りで、集団に溶け込むことが苦手でした。

周りから浮かないように影を薄くして

はるうなぎ
はるうなぎ

わたしは空気……

人の目には見えざるもの……

存在感ZEROに徹していました。そして、集団の輪の中にはもちろん入りません。

蚊帳の外、万歳。

それでも、高校生くらいまでは思春期らしくそのことで悩む時期もありました。

まあ、人並みに悩みはしたけどそれを克服しようと努力はしなかった上、

群れない自分……ステキやん?

というプライドエベレストの厨二病こじらせ野郎だったんですけどね。(痛)

学生時代の苦行イベントトップ3といえば、

  • 文化祭
  • 体育祭
  • 修学旅行

ですよね?(同意を求めていくスタイル)

あんなもんを楽しいと思うなんて、頭のおかしいやつらだけ。

とか、まあ、隠キャ特有の昏い思想の持ち主だったわけですよ。当時のわたしは。(痛)

集団行動がとにかく嫌で嫌で仕方なかった。

そんな青春時代。(暗)

今は社会に適応するため、何匹も猫を被って周囲が期待する自分を演じています。

レベルカンストの社会人にとって必須スキルとも言うべき【愛想笑い】を発動しながらね。

そうやって、人見知りであることを隠して生きています。

そうすることで誰かを不快にさせることもないし、うまく立ち回れるから。

誤解のないよう言っておくと、わたしはべつに孤独を愛する主義というわけではありません。

家族や友人と過ごすのもそれはそれで楽しいんですが、ぼっちはぼっちの良さがあってめっちゃ楽しいよ!

と伝えたいそんなお話です。

誰かのために自分の人生を消費するという愚行

まず、ぼっち環境のなにが良いかって、自分の時間を自分のために自由に使えること、そして誰にもその時間を邪魔されずに過ごせることだと思うのです。

誰しもが、いろんな人たちと関わり合いながら生活しています。

家庭であろうが、職場であろうが、ステージがどこであろうとも。

意識的に誰とも会話をしないようにしているつもりでも、話しかけられたら無視するわけにもいかないし、気のない返事も悪いかなと思ってニコニコ話に乗ってしまう。

人は息をするように空気を読むということをしていて、大なり小なり気を遣いながら過ごしています。

そう、知らず知らずのうちに、誰かのために時間を使っているのです。

自分の限りある人生の大切な時間を。

それはとても疲れてしまうし、ストレスもかかります。

そういうストレスから解放されるもっとも有効な方法は、誰にも気を遣う必要のない環境にあること。

そうです、それがぼっちなのです。

傍若無人に振る舞えればラクなんだろうなとは思いますが、これは同時に周囲から鼻つまみ者扱いされ反感を買う危険性を孕んでいるので、最適解とは言えないかなぁと。

学生の頃は、それこそ自ら人との距離を置いて過ごしていました。

文化祭の準備も適当に言い訳をしてサボっていたし、

体育祭の練習も体調不良(嘘)を理由にサボタージュ。

今思い出しても本当にクズすぎて草。
しかも全然後悔していないという輪をかけたクズっぷり。

修学旅行の部屋割、グループ分けなんてもう最悪でしたね。

仲のいい友達は違うクラスだったし、自由行動以外は決められたグループで行動しなくちゃいけないので、ホントもう苦痛でしかなかった灰色の記憶。

大学生になったらなったで、余計にぼっち街道をひた走ることになります。

わたしは物心ついた頃から内向的で、自分から動くような積極的な性格ではありません。

なので、めちゃくちゃ友達の少ない大学生活を送っていました。

結局いつも遊んでいたのは小学生から仲のいい友人1人だけ。

社会人になった今でも、昔からの気安い友人以外とは関わりを持つ気もないので、当然新しく友達ができるわけもないしコミュニティが広がるはずもなし。

本音を言えば、無理して誰かに合わせる生活なんてしたくない。

どんなに仲のいい友人でも、家族でも、長時間いっしょにいるのは嫌だ。

ひとりの時間がいちばん好きだし楽しい!

コミュニティの中でも結構快適に過ごせている現状、不思議と寂しいと感じることはないし、退屈だなと思うこともない。

よく結婚できたなーと思います。

できたなっていうか、こんなわたしとよく結婚する気になったよな、夫が。といつも思う。

夫は『誰かと一緒にいる方が落ち着く』というタイプなのかもしれない。

そしてその相手にわたしがたまたま選ばれただけかもしれない。

ともあれ、誰にも余計な気を遣う必要がない生活。それは最高の贅沢であり理想。

食べたいもの、観たい番組、行きたいところ、なにかを選ぶとき自分の気持ちひとつで決められる。

誰の意見も必要ありません。

ブリトラの『ひとりのうた』(のネガティブな歌詞部分以外)はヘドバンする勢いで共感しかないですもんね。

ハッピーひとり!

一度きりの人生、誰かのために自分の時間を消費するなんてもったいないですよ!

※個人的な意見です。
人のために生きること(奉仕)が人生に豊かさをもたらすと感じる方もいますし、それを否定するつもりは毛頭ありません。

大人の世界は残酷だと知る

とは言え、ひとり暮らしの自宅警備員でもない限り、自分が望むと望まざるとに関わらず、誰かと過ごすことを避けることができません。

学生の間であれば、苦手だったり関わりたくないと思う人に対しては、のらりくらり避けていれば自然と距離も遠のいていくし、親交がなくなっても学校生活に支障は全然ありません。

しかし、社会に出てサラリーマンになるとさすがにそれは通用しなくなります。

学生時代とのギャップに違和感を抱きながら過ごしていると、天啓のごとく気づくのです。

そうだ、大人の世界は無慈悲で残酷なんだと。(なんか変なスイッチ入った?)

会社という組織においては、周囲との関係性次第で業務に支障をきたす場合があります。つらみ。

たとえば、職場にいれば否応なく遭遇する馬の合わない上司、同僚、取引先の相手。

友人ならともかく、たいして親しくもない(親しくなりたくもない)相手のために、自分の時間を使うということのしんどさを痛感します。

  • 飲みニケーションとかいう時代錯誤な飲み会(歓送迎会、忘年会、新年会etc)
  • 反吐が出る社内レクリエーション
  • 親睦どころか溝しか深まらない社員旅行

会社の福利厚生として上記会社行事を企画している皆さま、お疲れ様です。
いつもありがとうございます。

だけど言わせてください。

単純に面倒だと思っている人が圧倒的多数だと思うので是非やめましょう!

今どき、社員同士の交流を目的としたイベントなどナンセンスです。

全員とは言いませんが、ほとんどの人は親睦会のような福利厚生的な気遣いを求めていないと思います。

貴重なプライベートの時間をわざわざ割いて参加したとして、そこに自分の時間を犠牲にするだけの価値があるとは考えられないからです。

ただただ気を遣い、神経を消耗するだけの絶望イベントです。

なんだそれ、地獄か?

そう思っているのはわたしだけではないはず。

わたしはそうした催しにはお断りを入れることが常ですが、総務部に所属している以上どうしても参加を避けられない行事はあります。

準備もあるし、仕方ないのですが。

この2〜3年は新型コロナウイルスの流行で、食事会や出張の類が軒並み自粛になっているので、そういう意味ではコロナ様様ですね。

まあ、付き合いが悪いと思われようが、それで同僚や上司の心証が悪くなろうが、正直どうでもいいですけど。

べつに出世とか望んでませんし。おすし。

仕事の能力がどうかじゃなく、飲み会に出席するかしないかで評価が決まって出世が頓挫するような会社は、所詮その程度だと思うことにしています。

仕事を真面目にこなしてニコニコしてさえいれば、たいていは文句も言われませんけどね。

全額会社負担でなく自己負担が生じる飲み会などは基本的に参加しません。

わざわざお金を支払って上司や同僚のご機嫌取りなんかしたくないですから。

割り切っていきましょう。

親類との疎遠化を切望

したくないこと、それをやることで自分を苦しめることなら、無理にする必要はないと思うのです。

だからわたしは会社だけでなく、家族(親戚)付き合いもなるべく避けています。

仲が悪いわけではないけれど、自分の家族でさえ会うことを面倒に感じることがあるくらいなのだから、夫の家族なら尚更です。

夫の家族はみんな良い人たちばかりですよ。

嫁いびりもまったくないし、むしろいろいろ気にかけてくれて良くしてもらっているほうだと思います。

でも、そうは言っても所詮他人ですし、良好な関係を維持するために本性を隠しているので言動にとても気を遣います。

わたしの感覚からすれば夫の家族は職場の上司と同じようなものなんですよね。

会えば「わたしは女優」と自己暗示かけて良い嫁を演じる必要があり、それがとにかく神経をすり減らして気疲れするので、ほんの少しの時間も一緒にいたくないのが本音。

夫にとってはわたしのそういう感情は冷たいとかドライに感じるでしょうけど、ごくごく最小限の人付き合い程度に留めた方が摩擦も少なくて済むはずですよね。

なにも率先して人間関係にヒビを入れに行かなくてもいいと思いませんか。

陰キャ歴の長いコミュ障は、他者が思うよりパーソナルスペースが広いんです。

パーソナルスペースを侵害する勢いで距離を詰めてくる人は苦手だし、かなり不快な気持ちになるということを、他はともかく夫にだけは理解してもらえたらなぁと思うこの頃です。

距離感は大事。

ガチの人見知りコミュ障を見くびってもらっては困る。

自分以外の人間は基本的に嫌悪感の対象なんだぜ。(威張ることじゃない)

こうして改めて自分自身を見つめてみると、夫には申し訳ないけど一生独身でいるべきだったなと感じます。

なんで結婚したんだっけ?(笑)

他人にまったく興味関心がないし、人の話を聞くのも自分が話すのも好きじゃないのに。

職場はもちろんお互いの家族との雑談が苦手、というか苦痛に感じるたちでして、

適当に相槌をうつだけで話はほとんど聞き流しています。

他人に無関心だから会話の内容も覚えていないことが多くて、

いつも「この前話した誰それについて」と過去の会話を持ちだされると、

そんな話したっけ?

と内心では首を傾げてしまう始末です。(興味がないことは右から左)

もちろん人の顔と名前はなかなか覚えません。

最高に楽しいぼっちのススメ

わが家には5匹の猫たちがいて、厳密にはぼっちとは言わない環境ではありますが、まあそんな細かいことは気にせず。笑

出不精なので外出はあんまりしないのですが、ぶらぶらひとりショッピングも楽しいし、

家の中にあっては、猫たちとぼんやりだらだらしてる時間が至福ですし、

やる気のない時はなにもしなくていい、

なにをするにもひとりなら好きなタイミングで始められて、

疲れたり飽きたらもうやーめた!なんて自分勝手もできて、

周りが期待する自分を演じる必要がない、

それがぼっちの醍醐味だと思うのです。

ぼっち時間の過ごし方は無限です。

なので人との距離感にストレスを感じている方にはまず、

人間関係をフラットにして煩わしい人付き合いの悩みから解放されることを目指すのをおすすめしたいです。

冷たい人間だと思われても、なにより守るべきは心の安寧ですからね。

とかく日本人は、協調性だの和を重んじるだのという同調圧力を常識とする傾向にあります。

それも悪いことばかりではありません。

ひとりが好きな人、

人と関わることが好きな人、

どちらかが正解ではなく世の中にはいろんな価値観や考え方の人がいます。

自分が自分らしく、自分の時間を自分の思うままに使って生きていくことがなにより大切で尊重すべきことだと思います。

そしてわたしの場合はそれがぼっちであり、わたしなりの「ラクに生きていく方法」(結論)なのです。

ぼっちは人の為ならず。

ひとりでいることに苦痛を感じる人は無理をしないで、自分にとって心地いい塩梅のぼっちライフを模索しつつ、少しずつ人間関係のストレス減少に繋げていきましょう!

この記事を読んで、ほんのちょっとでも「ぼっちっていいかも」と思っていただけたらとてもうれしいです。

(心の中で小躍りします)