肥大型心筋症になった猫、はるの話

はるうなぎです。

本日は愛猫はるの命日です。
虹の橋へ旅立ち、早いもので7年になります。

命日の供養になることを祈りつつ、突如心筋症を発症し亡くなったはるについて、闘病の記録やわたしの思いなどを備忘録として残しておきたく記事にします。

おなじ悩みをお持ちの方の参考になりましたら幸いです。

それはなんの前触れもなく

2016年2月25日、夕方。

当時パート社員だったわたし。
勤務先から帰宅後、いつものように猫たちにキャットフードを食べさせます。

今までとなにも変わらず、はるとうなが元気に駆け寄ってきて、お皿に顔を突っ込んでモリモリとフードをきれいに完食しました。

異変が起きたのはそれから2時間ほど経過したとき。

これまで聞いたこともないような悲鳴のような声ではるが鳴きだしました。

何事かと様子を窺うと、両後ろ足を引きずって前足だけでこちらに歩いてきます。
明らかに異常だとわかる状態でした。

これは只事ではないとわたしは慌てて病院に連絡をしました。

まもなく診察受付が終わる時間だったので、先に電話で連絡を入れて様子見ができる状態なのかどうかの判断を仰ぐことに。

先生に状況を説明すると、すぐに連れてきてと言われ、急いで車を走らせました。

病院に着いてすぐに診てもらい、先生からは

先生
先生

肥大型心筋症ですね

と。初めて聞く病名です。

はるうなぎ
はるうなぎ

ひだいがたしんきんしょう……?

先生
先生

心臓病で、後ろ足を引きずっていたのは血栓塞栓症が理由。

はっきり言って予後は悪いです。

覚えている説明はこれだけ。

他にもなにか言っていたような気がするけど、とにかく死亡率が高いという説明が強く印象にあり、頭が真っ白に。

「きっと治るよ大丈夫、と期待を持たせてあげられる病気ではない」
そう先生に言われました。

生涯ずっと薬が必要にはなるけれども、症状が落ち着いてそのまま長生きする子もいるし、突然死することもある。

はるのように血栓塞栓症が症状として出た場合は、長生きは望めない子が経験上多いと。

もうほとんど死刑宣告のそれにわたしは動揺を隠せず、初期症状に気づけなかった自分を責め、はるに謝り続けました。

その日は血栓を溶かす薬を注射してもらい、ペルサンチンという内服薬を処方されて帰宅。

診療時間外にもかかわらず、受け入れてくれた先生には感謝しかありません。

もしこのときに診てもらえていなかったら、最悪そのまま死んでしまったかもしれないと思うと……。

不治の病「心筋症」

病名を告げられてもよくわかっていなかったわたしは帰宅後すぐにグーグル先生で検索しまくり、発症後の残り寿命、治療方法、自宅でできるケアなど、さまざまなことを調べました。

①心筋症の種類

心筋症には以下の3つの型があり、

  • 肥大型心筋症
  • 拡張型心筋症
  • 拘束型心筋症

はるはこれらの型のうち肥大型心筋症でした。

拡張型は原因のひとつがタウリンの不足と言われていて、最近はフードにタウリンが十分に含まれるようになったおかげで発症が減ったそうです。

肥大型が猫の心筋症の中ではもっとも多いタイプで、発症理由については拘束型ともにはっきりわかっていません。

遺伝的要因、自己免疫疾患、ウイルス感染症などが考えられているようですが、原因が明確である拡張型以外は、定期的な健康診断をおこなうくらいしか予防らしい予防法がありません。

各型の詳しい病状については、以下のサイトがとてもわかりやすいです。

愛猫が心臓病と言われたら
猫の心臓病について獣医師が詳細に説明します。

②初期症状では気づかないことが多い

この病気の恐ろしいところは、年齢に関係なく発症し、初期症状では気づけない上に、症状が目に見えてわかったときにはかなり進行していて、すでに手遅れの状態であることがほとんどだということです。

実際、はるも闘病期間は4ヵ月。発症からあっという間でした。

病院の先生にも、

先生
先生

初期の段階ではわからない。

体調の変化がほとんどなく、健康診断などでたまたま発見されることが多いから、気づけなくても仕方ない

と言われました。

実際、健康に見える猫の約15%に肥大型心筋症が見つかったという報告もあるらしいので、若くて元気だからといって油断は禁物なんですよね。

はるも、発症の半年前や1年前、それ以上前から少しずつ心筋症が進行していたのだろうかと思うと……。

気づけなかったとはいえ、はるに申し訳ないやら自分に腹立たしいやらとにかくもどかしく悲しいやらで、複雑な気持ちです。

③治療方法について

はるのときもそうでしたが、基本的に対症療法が主となります。
どういう症状が出ているかで治療内容が変わりますので、わたしの例も含めて書き残しておきます。

症状(1) 血栓塞栓症

私が最初に直面した症状です。
はるの場合は後肢に血栓ができ、激痛を伴って足をずるずると引きずって歩いていました。

治療方法:抗血栓薬の投与

発症当日は注射で抗血栓薬を投与、以降はペルサンチン錠を毎日飲ませて血栓を予防。

あとは自己責任ですが、わたしはリーチペットエビオス錠というサプリメント錠剤を与えていました。

※サプリメントを与えてもよいかどうかの判断は、かかりつけ医の指示に従うようにしてください。

リーチペットはひかりどうぶつ病院の通販サイトで購入しました。

主成分は水蛭(すいてつ)、水蛭とはヒルのことです。
水蛭の作用は抗血栓、溶血栓、動脈硬化防止、降血圧、血管拡張などで、病院での治療の補助として服用させることに。

エビオス錠は胃腸薬ですが、なぜか好んで食べたがったのと、食欲増進につながればと思ったので。

発症初期は幸いにも食欲があったので、フードに混ぜて飲ませ(食べさせ)ていました。
とにもかくにも藁にもすがる思いだったのです。

苦しい思いをさせたくない、長生きしてほしい、ただそれだけを望んでいました。

投薬ではありませんが、少しでも血流がよくなればと思い、自宅ケアとして肉球もみもみ&ブラッシングをこまめにしました。

低ナトリウムの食事療法も検討しましたが、調べたらもともとあげていたフードが塩分の高いものではなかったので、フードは変えず食べ慣れたものを継続。

症状(2) 後ろ足を噛んで出血させる

これは心筋症の猫すべてに現れる症状とは言えないので、書くかどうか迷ったのですが、症例のひとつとして参考になれば。

理由はよくわからないのですが、左後ろ足の指先を出血するまでしきりに噛むように。

病院の先生に相談しましたが、「血栓の影響で後ろ足に違和感を感じて噛んでいるのかも」とのこと。

はるうなぎ
はるうなぎ

抗血栓薬が効いていないから噛むのかなぁ

と思いましたが、

はるうなぎ
はるうなぎ

考えようによっては、血が出ているのなら血管が詰まっていないということなんだから、それはいい傾向だよね!

とポジティブに捉え、心臓の負担を考えるとストレスになるだろうからエリザベスカラーはしませんでした。

家の床に点々と血の跡が付着してその掃除に追われる日々となりましたが、生きていてくれるだけでいいんだ、とこの時はもうはるにとって穏やかに暮らしていけるよう努めることだけを考えていました。

症状(3) 呼吸が荒くなり、肺水腫に

投薬の効果か、サプリメントの効果か、その後血栓塞栓症は死ぬまで発症することはありませんでしたが、今度は肺に水がたまり明らかに呼吸の異常が見られるように。

治療方法:利尿剤の投与

利尿剤を与えて、肺にたまった水を強制的に排出させます。

肺に水があるというのは言わば陸にいながら溺れているのと同じ状態なので、当然苦しかったと思います。
利尿剤が効いて水が体外へ出ると楽になるのか、呼吸が落ち着きました。

このころになると、部屋の隅などでじっとしていることが多くあまり動かなくなり、食欲も落ちてきます。

ある日の夜、見るからに危ないと感じた状態になったことがありました。

横たわってぐったりしている。口を開けてハアハアと呼吸が荒い。泣きそうになりながら夫と病院へ駆け込みました。

利尿剤点滴をし、酸素室に入れることになり、その日は入院。

先生
先生

手は尽くしますが、いつ死んでもおかしくない状態だから、覚悟はしておいてください

その言葉を聞いて、死んでしまうかもしれないなら自宅に連れて帰って看取ったほうがいいのではないか……と思いました。

入院させるか連れて帰るかしばらく悩みましたが、持ち直す可能性を信じて病院に預けました。

翌日、起き上がれるほどに回復したとの連絡があり、急いでお迎えに。

病院に着くと、はるが酸素室の中でちょこんと座ってわたしを見つめていました。
うれしくて泣きました。

先生に

はるうなぎ
はるうなぎ

自宅で看取りたいが、苦しませたくない。

今回のようなことがまた起きた時、病院に連れてくる間に苦しみのなか死なせたくない。

と相談したら、病院で使用している酸素室のレンタル用パンフレットをくださり、緊急用にと利尿剤の注射を3本渡してくれました。

症状(4) 最期のとき

いわゆる末期のころ、呼吸をするので精一杯の状態に。

横たわっていることはなく、誰もいない静かな場所でいつもスフィンクス座りしてじっとしている姿をよく見るようになりました。
目を瞑っていることもありますが、たぶんあまり眠れてはいなかったと思います。

少しでも呼吸が楽になるようにと酸素室をレンタルし、その中で過ごしてもらうことがだんだん多くなりました。

相変わらずペルサンチン錠剤とリーチペットを飲ませますが、食欲がほとんどなくなり薬を飲ませることが難しくなります。

フードも受けつけなくなり日に日に弱っていく姿を見て、強制給餌も、嫌がるはるの口をこじ開けておこなう投薬も、心臓に負担を与えるだけな気がしてやめました。

強制給餌も投薬もやめてしまえば一気に死に近づくとわかってはいましたが、心のどこかで「苦しみを長引かせるよりは」と考えていたのかもしれません。

神のみぞ知るこの子の行く末を、自然に任せるという形で待つことにしました。

そして、2016年6月17日。
はる、永眠。

幸いだったなと思うのは、夫婦ふたりでその最期を看取ることができたことです。

治療費について

闘病期間4ヵ月のあいだにかかった費用についてまとめます。

現実的な話になってすみませんが、参考にしていただけたらと思い記しておきます。

投薬代 41,540円
病院代 35,275円
酸素室レンタル代 23,000円(4日分)
合計 99,815円

わが家はペット保険には加入していませんでしたので、治療費はすべて実費です。

今になってあらためて思い返すと、結構かかってたんだなと思いますが、当時は費用について考える余裕がありませんでした。

とにかくはるを助けたい一心でしたから。

扶養内パートとは言え、子なしの共働きだったのでそれなりに経済的ゆとりがあったおかげですし、

自由診療でいくらかかるかわからないペット医療費に怯えることなく、不安にもならず最大限の延命治療ができたのは、そうしたいというわたしの意思を一切迷わずに尊重してくれた夫のおかげでもあります。

現在5匹の大所帯ですが、どの子もペット保険には加入していません。

今はわたしがフルタイムの正社員で働いて安定したお給料をもらえているので、当時以上に貯蓄などでゆとりがあり突然の医療費にも対応できると判断してのことです。

最後に

わたしは最期まで投薬での治療によって、必死に延命処置をおこないました。
最終的には、投薬を受けつけなくなってからは自然に見送るという決断と選択をしました。

中には、【安楽死】という選択をされる方もいると聞きます。

飼い主自身の意思で、その子の最期を決める。
悲しみよりも安堵のほうが大きいから、その選択をするのかもしれません。
「やっと楽になるね」という思いが強いから。

わたしのように治療を可能な限り続けて、一緒にいられる時間を一秒でも伸ばそうとすることも愛情に違いなく。

そして、息苦しさでつらい状態でいる子を、ただ見ていることしかできないことに飼い主自身も苦しんで、それ以上見ていられない、死を選ぶことで楽にしてあげたいと思う気持ちもまぎれもない愛情なのです。

実際にわたしもはるの看病をしていて、安楽死を選択する飼い主の気持ちが痛いほど理解できました。

それまでは「自分が愛する家族の死期を決めるなんて……」と、どちらかと言えば否定的な意見でしたが。

どこまで治療を続けるべきか、考え方は飼い主それぞれだと思います。

治療をしても治る見込みが低いのに、一日でも長く生きてほしいと願って必死に治療を続けることが苦しみを長引かせることなら、それは本当に必要な治療と言えるのか。

考えて、考えて、治療を続けるのか、やめるのか、安楽死させるのか、ぐるぐると悩み。

結局のところ、正解はないのだと思うし、どの選択をしてどんな結果になっても大なり小なり後悔は残るのだと思います。

手を尽くせるだけ、やれることは最大限やってきた。
その時、その時で、自分は最善の行動を取れたはずだ。

どんなに最良の選択をしたと思っても、はるが死んでしまったことは事実として残り、わたしの心は

はるうなぎ
はるうなぎ

いつ終わるかもわからない苦痛からこの子が解放されてよかった

という安心とともに、

はるうなぎ
はるうなぎ

それでも、もっとできることがあったのではないか?

という負の感情で占められました。
毎日のようにはるを思い出しては泣き、宥めて慰めてくれる夫を困らせてしまうほどに。

自分は精一杯やった、だから仕方ない、そういう思いは自己満足でしかない。

その後悔ごと受け入れる覚悟が必要で、わたしはその覚悟を『はる』との闘病と向き合うことで学び、心の在り方について考えるきっかけができたと思っています。

飼い主の愛情と看病がなによりの薬であることは大前提として。

自分で選択したこと、それに納得すること。

それが自分にとって最も正解に等しい、後悔の少ない選択になるんじゃないかな、そうであってほしいとわたしは思います。

闘病期間の4ヶ月のことは、いま思い出しても本当に苦しい時間でした。

でも、それ以上に一緒に過ごした日々がずっとずっと楽しかったことを忘れないでいることが、なによりの供養になるのだと信じます。

はるのたった6年間の猫生が幸せだったかどうかはわからないけど、はると過ごし愛したわたしの6年は疑いようもなく幸福そのものだったからねと。

毎年命日になると、はるの骨壺にそう語りかけて、わたしははるを偲ぶのです。